ブラック企業と日本の未来と

電通で働く女性社員が、過労を原因とされる精神的な乱れから自ら命を絶ちました。

すでに労基なども動いておりますし、電通に対しても厳しい処分が(ある種の見せしめだとしても)

下される流れとなりそうです。

自死を選ばれてしまった女性に対してはとても悲しい気持ちです。通常な精神状態ならばおよそ考えつかない行動をとってしまうのが鬱などの症状なわけですから、会社が社員の状態を把握できていなかった、対処できていなかった時点で、やはり会社の一定の責任というものはあると思います。

電通絡みの案件だと、特にTVメディアは報道に対し二の足を踏む傾向がありますが、今回はそうも言ってられないということでしょうか。

一部では報道自粛を求める実質的な圧力がかかったなどという話もありましたが、この状況では火に油です。

ネット内ではとっくの昔から「電通、すべての諸悪の根源節」みたいなものがあったわけで、一定の距離感のある当事者以外の人からしたら「これは面白いネタが飛び込んできたぞ」と群がってしまうのもある種理解ができます。

そもそもとして、電通自体もネットメディアに対して積極的に事業を拡大していたわけで、自社のネット内での評価を正確に把握して対処していかいないと、これからますます風当たりが厳しくなってしまいます。

電通はもはや世界規模の事業なわけですから、「反省して一回休み」とは出来ない会社なわけで、日本のビジネスモデルを考えるうえでは、日本全体でこの問題に関心を寄せる必要はあるのかなと思うところです。

ですが困りましたね。

「じゃあどうするんだよ」という回答を、ぼくたちはまだ用意できていないのです。

「残業代はすべて発生する」「残業は月に30時間まで」「というか残業なんて無し」にして生き残れる会社なんて、日本にどのくらいあるでしょうか?

おそらくはほとんどの会社で垂直気味に経営状態は悪化し、倒産リストラ待ったなしの会社がうじゃうじゃと表面化するでしょう。

「健康で時間もたっぷりあるけど、みんなで無職☆」というようなとんでも国家が出来上がりそうで胸が熱くなりますね。

ぼくも広告代理店の制作部署で働く人間として、亡くなられた彼女のことは決して他人事ではないのです。

一歩間違えばぼくの未来は彼女そのものであるし、ある意味では「たまたま」生きているだけの現在でしかないのかとも思うのです。

こういう商売の構造上、致命的な欠点として「他人が仕事をくれない限り、食べてはいけない」という当たり前の現実があります。

そこから生まれるのは「いかに安く、いかに早く、いかに質の高いもの」を提供できるかの競争社会であり、そのレースに一度参戦したからには途中棄権はそのまま「死」に直結することもままあることです。

ぼくも含めほとんどのデザイナーはすべて「自分にしか作れないものでも開発して、クリエイティブで高収入な生活がしたいなあ」などとヨダレをたらしながら妄想するわけですが、そのために出来ることといえば結局のところ「寝ないで勉強する」「金にもならない仕事をして人脈をつくる」「使えそうな人を見つけては頭をさげる」などの作業の連続でしかありません。

気付けば見たことのあるデスロードに逆戻りしているだけだったということも珍しくなく、こうして「社畜」は「社畜」としてのスキルをギラギラと磨いていただけなんてことになってしまいます。

「だったら独立すればいい」などの乱暴な意見もありますが、それは「自分の仕事」にプラスして「営業の仕事」をねじ込むだけの話だし、その能力が欠けていたのなら光の速さで詰むことになるでしょう。

ああ未来がない未来がない。

などと言いますが、最終的にはぼくはこの仕事に愛着を持っておりますし、命を削ってまで仕事にのめり込む人生を良しと考えません。

今回の事件は日本に何らかの影響をもたらすでしょう。

ですが、それが実際の仕事レベルでの変化につながるのはもう少し先の話です。

それまでは、学生のうちにでも「仕事とはなんなのだろう」と真剣に考える時間をもうけ、可能な範囲での事前準備をすることが大事ではないかと思うわけです。

もちろんそれは仕事をはじめた後でも同じ事で、どんな未来に直面したとしても、何らかの選択肢は用意しておくべきではないでしょうか。

それが自死などではないことを願うばかりです。

peasemile studio

初めての子育てに奮闘する、ただの日常と些細なドラマを綴っていきます。

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