こどもの豊かさ
こどもが出来るにともない、生命保険について考えることが増えた。聞いてみる
と、現在保険の種類は3,000種ほどあるらしく、一人で調べること などもちろん
無理。
ましてや一人だと絶対に考えないだろうけど、そこらへんは妻がしっかりしてい
るので、まんまと「保険の窓口」に連れていかれ色々と聞いてきた次第 である。
手厚い保険であるに越したことはないのだが、それによって保険料はあがり、保
険料が生活を圧迫するようでは賢い考え方とはあまり思えない。
消去法で「定期」「終身」などと選択肢は狭まっていくのだが、ぼくがふいに死
んだ時に、果たして妻と子供がこれで充分な生活を送れるのかどうかは よく分
からない。
どうもぼくは「なるようになるし、なるようにしかならない」と考えているの
で、この手の話は頭に入ってきにくいようだ。
ぼくが得意だろうが不得意だろうが関係なく、こどもは生まれてくる。
この保険も、端的に言えばこどものためのものである。
ではぼくはこどもに対して、何を残すべきであると考えているのだろうか。
豊かさの反対語は貧しさである。
当然、貧しい生活は送ってほしくない。
三食、食事にありつけることは当たり前だが。
では、そこから先に踏み込んだ、最低限の豊かさとは何だろうか。
「おいしいものをたくさん食べる」ことを豊かさと思う人もいると思う。ベンツ
に乗りたい人、一年に一回海外に行きたい人、健康でありたい人、毎日 ごろご
ろしたい人。
豊かさとは、その主語が誰かによって千差万別だ。
ぼくの思う豊かさは、「望む教育を受けることができる」ことだと思っている。
学びたいと願うこと、知りたいと願うこと、それが叶うことが何よりも幸せであ
り、有り難い自由だ。
ぼくは果たして、こどもにそれを叶えることができるだろうか。
それはまだよく分からない。
可能な限りは努力するし、そのために自分が諦めることもでてくるかも知れない。
こどもの未来を思うことは、同時に自分の死を考えることでもある。
それもそれで悪くない、と今は思っている。
0コメント