森友学園に思うこと


森友学園の話題がなかなかに燃え上がっている。




この件に関しての問題はいくつかあって、少なくとも
【土地を不正に安く購入した疑惑】と
【教育方針】は完全に別に考えるべきと思う。
この学校が私立であるならば、どのような教育方針であれ(保護者に嘘偽りなく
説明されているのであれば)問題ないはずだ。
教育勅語を学ばせようと、(仮にだが)軍歌を歌わせようと問題ない(いや、個
人的にはゴメンだけども)。
ぼくはキリスト教系の幼稚園に通っていたので、お弁当時のお祈りは「手をグーに握った形」だったし、家に帰ると「手の平を合わせる形」で「いただきます」
をしていた。
それがどのような意味なのかなどは考えなかったし、どちらの教えによる支配も受けていない(と、思っている)。
ちなみに今は手の平を合わせる形だ。
子ども達がどのように育つかなど、実のところ幼稚園くらいの教育では関係ない
と思っている。
とはいえ、個人的に引っかかるのは「安倍首相ありがとう、がんばれ」などと子ども達に言わせていた点だ。
子ども達に対し、保守的な教えを説くことは構わないと思うし、「政治家の皆様ありがとう、がんばれ」なら一向に構わない。
だが、いくら日本国総理とはいえ、一政治家を応援させるというのは納得がいかない。
それは「教育」という範囲の外の話だと思うのだ。
子ども達に必要なのは(大人もだけど)、何が正しいか、何がこの国や自分たちの未来のためになるのか、自分で考え、さらに疑い、あくまでも自分の頭で考えることができる能力だと思うわけですよ。
安倍首相が正しいと思うなら感謝し応援する、間違っているのなら徹底的に批判する。
森友学園の子ども達が「いやあ、やっぱり安倍首相は優れた政治家だなあ」などと考えているわけなどないわけで、「安倍首相がんばれ」などと言わせる行為そのものが、やっぱり子ども達に対する洗脳であり、成長に対する虐待だとすら思うんですよね。
ぼくが高校の頃の社会科の教師が、何を思ったんでしょうか、「今の小泉首相や安倍官房長官は、戦争をしたい鷹派なんですよ」と言ったことがあって。
それを聞いてぼくは「もうコイツの授業は受ける意味がないな」と思ったので、それ以降その人の授業には参加しなくなりました。
(今考えると、いきなり教室から消えたぼくのことを彼はどう思っていたのだろう?)
公立高校なんですけどね。その人も普段は普通の人でした。
ぼくは少なくとも、自分で自分の教育者を選択はしました(方法としてはあまりにも未熟ですが)。
でも幼稚園児にそれは無理じゃないですか。
小学生でも難しい。
今回の件で思ったのは、「教育」を他人に任せる以上は、親もしっかりとその教育者について勉強していないと、何かおかしな思想に巻き込まれていく危険って実は幼い時からあるのだよなあということです。
ぼくならこの方々の教育を受けたくないな、と。


peasemile studio

初めての子育てに奮闘する、ただの日常と些細なドラマを綴っていきます。

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