きみはいい子

「きみはいい子」という映画を鑑賞。
2015年制作 高良健吾さん、尾野真千子さんら主演
こどもが生まれる前から、というよりも何故か高校時代から「児童虐待」につい
ては変に関心が高く、自分で色々調べることも多かった。
この映画では児童虐待だけでなく、ネグレクトやいじめなど多角的に描いてはい
るのだが、「被害者側=加害者側」をフェアに扱っている(一部除く) 点で非
常に素晴らしい映画だと終始感動。
感動というと「いい映画だなぁ」という感じだが、実際には観ている間中
ずーーーーーーっと気分が悪く、見たくもない現実をジメジメと見せられている不快感がある。
演出の見事さや細かいライティングまで丁寧に描いているため、さも「この子は本当に虐待を受けているのでは?」と錯覚するまでのめり込む。
特に個人的には高良健吾さんが良いなと思っていて、同郷の人間として応援して
いたのだが、この映画は完全に彼の代表作になったのではないでしょう か。
画面にうつった瞬間から「こいつはダメだ笑」と思わせる軽薄な演技は見事でした。



映画自体の感想はそのくらいで終わるとして、テーマのひとつである児童虐待に
ついて。
虐待を受けた人が自分の子供にも暴力をふるってしまうというケースの多さはデータからも現実として出ている(映画内では、虐待を受けた過去がある 人が、こどもに虐待をあたえるケースとあたえないケースの両方が描かれるが)。
まさに負の連鎖であり、だからこそ食い止める必要があるのだが、その難しさは言うまでもない。

「こどもの被害を食い止められないのは、行政が見て見ぬふりをするからだ」とかテレビではよく見かけるが、そう言っておけばなんとなくウケがいい だけの意見でしかなく、現実的な解決として何も機能していない。
だったら地域で監視の目を光らせる方がよほど効果的ではあるしはずだ(絶対にそんな方向では議論はすすまないけど)。

児童虐待は、ただの暴力衝動から生まれるケースもあるし、支配欲の暴走や、しつけの延長上にも起こり得るし、こども自身の捉え方にも個人差はある わけで、つまりはケースバイケースだ。
それを全部学校や警察で一律的に管理すること自体が無理がある。
ケースバイケースの対応というと聞こえはいいが、行政機関が自分の判断で自由に行動すること自体が良いことだろうか?
ぼくはそうは思わない。
だからこそこういった事例の対応は後手にまわるし、難しい。
救いのないバカ親のことはどしようもないが、虐待やネグレクトは親自体の病気という側面もある。
病気であるのだから、自力でなおすにしろ他者に頼るにせよ、治療には一定の時間はかかるものだと思う。
病気の人に「なんで病気になったんだ!」と言ったって仕方無い。
隔離するのか、付きっきりで看病するのか、複合的に色々な治療法を試してみるのか。
長々とした文章になってしまったが、ぼくなりの結論でいえば、児童虐待の解決策のひとつとしては、「児童虐待という親の病気を、家族でケアする」 となる。

「頼れる人がいないから虐待はおこるんだ!」という声ももっともだが、それを
言ってても始まらない。
仕事なのか環境なのか、必ず何かは犠牲にしないといけないだろう。
でも、それでもやらなきゃいかんだろう、と思う。
消去法でしかないけれど、こどもが不幸になるよりいいではないか。
たとえそれが、親と子が別々に生きていくという結果だったとしても。

peasemile studio

初めての子育てに奮闘する、ただの日常と些細なドラマを綴っていきます。

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