チャットモンチーの完結に寄せて

チャットモンチーが活動を「完結」することになった。
CDを何枚か、ライブに何回かしか行かせてもらったことはないので「熱心なファン」では無かったかも知れないが、ファンであったとは思っている。

昨日、最後のテレビ出演となるミュージックステーションにて演奏を観たが、それといって感情的にもならず、淡々と、でも確実な殺気と絶望と喜びに 満ちたパフォーマンスは、僕が好きなチャットモンチーそのものだと感じた。

彼らがバンドを完結させると聞いたとき、最初に思い浮かんだのは「ミッシェルガンエレファントに似ているな」だった。



チャットモンチーもミッシェルも、「解散」という言葉を口にしなかった。
どちらのバンドも、ある時期においては確実に「今、日本で一番カッコいいバンド」という瞬間があった。
その「バンドの密度のピーク」の時の彼らは本当にカッコ良かった。もちろん、それ以降カッコ悪くなったわけでは当然ない。
彼らがバンドに対して一人一人が本気であり誠実であるからこそ、人間性や音楽性の方向が完全に一致しなくなり解散に向かうのだと思っている。

その瞬間性こそがバンドがカッコ良さなのであって、その先にある解散はロックンロールを好きな以上は絶対に避けられない宿命だ。

完全に推測でしかないが、ミッシェルの場合はチバユウスケが、チャットモンチーの場合は福岡晃子が「もっと大きな音楽を追求したい」という方向に 進んだことが解散への一歩だったのかな、と思っている。

勿論、誰が正しく誰が悪いということでは当然なく、曖昧な言い方だが「そういうもの」としか言いようがない。

とは言え、正直なところ解散の理由なんてどうでも良かったりもする。
納得しようがしまいが、バンドは姿を消してしまう。
ミッシェルの場合はメンバーの一人が故人であるし、チャットもメンバーの一人はバンドからすでに離れている。
「同じもの」は二度と観ることはできない。

それでも、音楽は残る。

CDやDVDとしても当然残るのだが、そんなものよりも「聴いたときのあの衝動」
は消えずに残り続けるのだ。
ミッシェルを初めて聴いたときの「世界で一番カッコいいバンドが日本にいる!!」という興奮。
チャットを初めて聴いたときの「椎名林檎やアヴリルラヴィーン以来の女性ボーカルの救世主が現れた!!」という興奮。

あの瞬間の感動は、今思い出してもすぐにその時の気持ちになれる。
この衝動がある限りは、バンドはある意味で永遠であると思っている。

チャットの二人がこれからどのような活動をしていくのかは分からない。
可能なら音楽を続けて欲しいし、たまには二人で音楽をやるのも観てみたい。
まだもう少し活動は続くが、ひとまずのお疲れ様。
もう一度「あの衝動」に出会えることを願って。

最後に、ライブパフォーマンスについてもミッシェルとチャットは少し似ていた点がある。
ラストの曲が終わったあと、チバユウスケと橋本絵莉子はほとんど一瞥もくれずにステージを去ってしまう。
ライブの「瞬間」だけを残して。
ああ、なんてカッコイイのだろうと思う。

peasemile studio

初めての子育てに奮闘する、ただの日常と些細なドラマを綴っていきます。

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