一、青森の少女の命を想う

青森市の浪岡中学校2年の女子生徒(13)が今年の夏に自ら命を絶ちました。

その10日ほど前に撮影された写真が、たまたま写真コンテストに受賞されましたが、紆余曲折あり受賞が取り消されました。


現在、主催者側に非難の電話などが集まっているとのことですが、実数が分からないうえにどのくらいの意図をもって抗議しているか分からないので、そこに関しては特に触れません。

ポイントとなるのは

一、彼女が被写体となったのはたまたまで、撮影者は彼女が自ら命を断ったことを知らなかった

二、審査員の方も、賞を決定されたあとに自死のことを知った

三、ご遺族の方に確認をとり、公開されることを了承された

四、しかしその後、審査側のなかで「やはり問題がある」として受賞の取消があった

五、受賞の取消があり、ご遺族は不満をもたれた。新聞者等に確認をとり、写真を公開された

間違ってなければ以上の経緯となる。

ぼくがこの件を知ったのは「四」の段階であり、感想としては「ご遺族の方が受賞の取消に不満や悲しみを感じるのは当然のこと。受賞の話を聞いた時、様々な心の葛藤を超えたうえで、公開をのぞまれたはず。しかし、公開に対して慎重になるコンクール側の気持ちも理解できる」というものだった。

今もその気持ち自体は原則として変わらない。

しかし、公開された写真を見て大きく気持ちが揺さぶられた。

まず、このような写真だと思っていなかった。

おそらくは少女が写真のなかに「うつりこんでいる」くらいの話であり、多くの人はそこに彼女の人間性のようなものは感じとれないような写真だと勝手に思っていたからだ。

しかしこの写真は違う。

まさに被写体は写真の主人公で、まばゆい笑顔と躍動感を感じる。

一言で言えば、「なんていい写真だろう」である。

ぼくがこの子の親ならば、額縁にいれてリビングにでも飾るだろう。そのくらい美しい写真だと思った。

この写真は「生命力」があまりにも強い。

この子がもうこの世にいないなんて、赤の他人のぼくですら思えないのだ。

だからこそご遺族は、公開をのぞんだのだろう。

彼女が生きた証をこの世に強く残したかったのではないか。

だからこそ主催者は、公開に慎重になったのだろう。

この写真がもつメッセージは、主催者側の意図と大きくかけ離れてしまうだろうから。

どちらも間違ってはいないのだとぼくは思う。

一枚の写真が生み出したこのニュースは、遠く離れた九州までこうして届いた。

それはそのまま、彼女の美しさと生命力が、とても尊く、強かったことの証明であると思うのだ。

ご冥福をお祈りいたします。

peasemile studio

初めての子育てに奮闘する、ただの日常と些細なドラマを綴っていきます。

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