レディプレイヤー1
この映画を一言で説明するならば
「俺たちの地元の高校全員集まった大同窓会」である。
「俺たちの」というのが大事で、ここには入ってこれない人たちもいる。
例えばだが、ジャックニコルソンのジョーカーは入れてもいいが、ヒースレジャーのジョーカーは来てはいけないのである。
微妙ではあるが、この差は実は大きいと思っている。
残念ながら今回来れなかった人たちもいる。
ウルトラマンが入れなかったことを監督は悔しがっていたし、あくまで個人的にはボンバーマンやFF7のクラウドなどにはこの同窓会に来て欲しかっ た。
ここまで書くと、まるでストーリーはペランペランの映画のようだが、
そう、ペランペランの映画ではある。
原作小説を未読なので、どこまでが脚本オリジナルかは知らないが、かなり偏った演出もあるし(例えばシャイニングを未見の人は結構置いて行かれる シーンがある)、ところどころ穴のある脚本もある(アイロックの本体であるとか、杜撰すぎるIOIの管理体制であるとか、育ての親の良く分からな い設定だとか、人の死がけっこういい加減に描かれていたりだとか)。
そこらへんは観ている側が引き算しながら見る必要があるのだが、それよりも畳みかけてくる「俺たちの友人」達の迫力の前には些細なことなのかも知 れない。
一応、エンディングには仮想世界と現実との向き合い方に答えらしきものを提示してきてはいるが、ちょっと杓子定規すぎるお利口な解答なのかな、と は思った。
スピルバーグがこの作品をどの程度気に入っているのかは分からないが、監督人生のあと何年かという残された時間のなかの、僕たちに対する置き土産 のような作品なのだと感じている。
終盤、この映画内におけるゲームマスター(神の視点でもあり、スピルバーグ自身)が画面から去っていくシーンがあるが、あのシーンに込められた意味はこの同窓会の続きの人生は僕たち自身が作り上げていくしかないというメッセージだと言えると思う。
最後に、ブリッジ・オブ・スパイに出てくる「あの人」が今作も非常に大きい役で登場するのだが・・・・・いやぁ、なんであそこまでいい役者がこの 年代になるまで埋もれていたのか全く分からない。
あのキャラが出てくるシーンは全て良かった。
最後の最後に「俺は●●で~」のシーン。
英訳では「I choose~」となっていたが、これはもう日本語でないと絶対に興奮できない!
このシーンで「日本人最高!Hoooo!!」となった。
この作品をスピルバーグが作ったことも最高にクールだが、いずれ日本人が作るべき映画なのかも知れない。
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